沖縄県名護市にある「芸術学博士 大城ナミ琉球舞踊技法工房」のホームページです。


技法の部屋

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(琉球舞踊の) “技法の部屋”

“技法の部屋”

 琉球舞踊の技法と言ってしまうと、体の動きに関することだけではなく、ある概念を表す「型」を表現するためには、衣装・着付、髪型・化粧、舞台の使い方、等など・・・必要な様々なことが関係してくる。しかし、本“技法の部屋”では、それらすべてについて話すのではなく、ある概念を表す「型」を、どのような体の動きの手順で行い体現するかということに限定して「技法」という言葉を用いる。運操法という言葉が適切かどうか分からないが、要するに体の運操法に関することを話したい。
 琉球舞踊の「型」について書かれている著書に『芸術祭総覧』(芸術祭運営委員会、沖縄タイムス社1963)がある。それは1954年から1963年の10年間に行われた新人芸能祭(後に芸術祭に発展)の記録と、その間に審査の必要から「型」を統一する必要が起こり、「新人芸能祭舞踊研究会」(1961年に「芸術祭琉舞研究会」に発展的に改組された)を設立し、琉球舞踊の型について話し合い、それを「琉球舞踊の型」として収めたものである。
 前者の新人芸能祭の記録は、当時は現在のように新聞社で踊り方の系列が二分された時代ではないので、オール琉球舞踊的な企ての中で行われた催しの記録で、貴重な歴史的記録であるが、ここ“技法の部屋”では当然のことだが、「琉球舞踊の型」の項に集中したい。
 断っておくが、「琉球舞踊の型」の項の詳細は話を進めていくなかで必要な箇所を徐々に説明していく形にしたいので、ここで特に「琉球舞踊の型」の項の全内容は述べない。詳細を知りたい方は『芸術祭総覧』を手に取ることをお勧めする。
 さて、前置きはそのくらいにして、「琉球舞踊の型」の項に話を戻そう。「琉球舞踊の型」の項には、「芸術祭琉舞研究会」で話し合われた内容が「琉球舞踊の型」として記録されている。そこでは、特に、「女踊りの基本」について話し合いが進められた。そこで「女踊りの基本」として最初に取り上げられたのは、コスチュームと着付、出羽、立ち方、始動の仕方、歩き方、つき方、回り方、止り方、目付き、身体のこなし、立ち直り、ガマク入れ、手の構えである。
 “技法の部屋”では「女踊りの基本」の体の動きに関する項目を中心にとして話を進めていくので、「コスチュームと着付」は「女踊りの基本」に取り上げた項目ではあるが、最初にお断りしたように、体の動きで話を進めるので“技法の部屋”では触れない。


技法の紹介

歩み

 武智鉄二。彼は演劇評論家、演出家、映画監督、伝統芸能の最後のパトロン、など・・・。いくつもの顔を持つ。彼の著書に『舞踊の芸』がある。私はその著書から多大の影響を受けているものの一人だが、その中の「舞」の説明に「舞は歩行の芸術」という表現がある。
琉球舞踊は「舞」と「踊」の要素をもっているものだが、特に女踊りでは、一つの作品の80%以上が「歩く」ことで構成されていて、武智の言葉を借りれば、「歩行の芸術」といっても過言ではない。
 歩くといっても、舞踊のなかでの行為はわれわれが日常行なっているような、「片足ずつ地面を踏みしめ、或る場所から他へと身体を移動する行為」ということでは説明が足りない。
 重心を下丹田に集め、膝を緩め(「腰を落す」と表現されている)、爪先を真直ぐ前へ向けて、片足ずつ平行に前ヘ出し、その時、地を摺るように前へ移行させていくのである。いわゆる腰を落とし、「摺り足」で身体を移動していく動作を琉球舞踊の女踊りでは<歩み>という。
 ほんの少し膝を曲げた状態(舞踊用語では腰を落とすという)で、足裏を片足ずつ床面を滑らしながら、ある場所から他の場所へ身体を移動する運動が<歩み>である。 目線はまっすぐ向けられるのではなく、3,4間先の床面に目線が落ちるようにする。
 琉球舞踊の女踊りでは80%強が<歩み>で構成されている。深い思いの表現には重層な音楽が使われ、音楽に合わせた足どりで歩む。軽やかな表現には軽やかな音楽で、足どりも軽やかに。80%強が<歩み>で構成されているということは、琉球舞踊における<歩み>の重要性を物語っている。



女立ち

 舞台の下手奥と上手先を結ぶ線を「スミキリ線」あるいは単に「スミキリ」という。 琉球の古典舞踊は、歌持ちと呼ばれる三線の伴奏で舞台へ登場する。女踊りの殆どは下手奥からスミキリ線の上を歩いて登場し、スミキリ線上手先から7:3、あるいは殆ど中央で立つ。立つと歌が始まる。立ち方には二種類あって、「基本立ち」と「女立ち」と呼ばれている。
 基本立ちと呼ばれる立ち方は、踵の幅をやや肩幅の間隔に開き、両爪先をそれぞれの45度の方向に開き、体重は両足に均等にかける。足の裏は全体を床につけるが、重心を土踏まずのほうに置き、どちらかと言えば指のほうに体重をかける立ち方である。したがって、「基本立ち」では体はやや前傾姿勢になる。古典舞踊の「老人踊り」「若衆踊り」「二才踊り」はこの基本立ちをする。  体重を両足に均等にかけて立つ基本立ちに対して、右足をその足側45度方向に爪先を向け、体重をかけ、左足は踵を床に付け、爪先を床から離して立つ立ち方が「女立ち」である。その時の右足と左足の体重配分は7対3と言われているが私の所属流派では約9:1である。基本立ちが両踵、両爪先がそれぞれ一直線上にあるのに対して、「女立ち」は左足の爪先が右足爪先より少し前に出す。その程度は右足親指から体に平行に線を引いたとき左足親指分だけ先に出る程度である。下丹田に力を集め、両股関節をそれぞれの足の外側に大きく開いた状態にしないと「女立ち」にならない。股関節を外側に大きく開くことを「腰を割る」という。この頃は体操などで行う身体所作の「休め」のような足の出し方になっている場合が多く見受けられる。

女立ち

つき

 女踊りは琉球古典音楽に振付されている。琉球古典音楽は基本的には二つの違うフレーズ(とり合えず、初めのフレーズを「表フレーズ」、もう一方のフレーズを「裏フレーズ」と呼んでおくことにする)が、その間に「間の手」と呼ばれる三線だけの短い伴奏を挿んで{「表フレーズ」+「間の手」(注1)+「裏下フレーズ」}という一組のまとまりとなり、その一組のフレーズのまとまりをいくつか積み重ねて一つの曲になる、という構造だ。
 琉球古典音楽に振付られた女踊りは曲の構造に拠っている。まず、曲のフレーズと舞踊の関係を見てみよう。
 琉球舞踊は、表現しようとする内容を、「表現して、消滅させる」という行程を積み重ねて一つのまとまった表現、つまり一つの舞踊になる、という構造だ。「表現して」の部分では、幾つかの「型」を繋げて一つの動きのフレーズにし、それを曲の表フレーズに振付ける。繋げられた幾つかの「型」を振付けられた順番に表フレーズの曲中で体現していくのだが、一つ一つの「型」が体現されていく行程で表現する事柄がエネルギーとなってそこに存在してくる。発現させた表現のエネルギーは次の表現のために、その表現を「消滅」させなければならない。表現の消滅の部分を曲の裏フレーズが受け持つという関係だ。
 元沖縄県立教授の板谷徹は生成・消滅を「行って・戻る」といい、それを動線の分節としているが、私はその考えに拠っている。
 一つの舞踊は「行って・戻る」の動線の分節を積み重ねて、大きな表現のまとまりにするのだが、「行って」と「戻る」のフレーズを繋ぐ役割を受け持つ動きのまとまり(とりあえず「型」と呼ぶ)がある。二つのフレーズの間に、振付けられた動きのまとまり(「型」)が<つき>と<小廻り>(後述)だ(注2)。
 <つき>は、「行って」で生成される表現のエネルギーを最大にする役割を持つ。そのような役割を担う<つき>の動きは次のように行われる。
 表現を体現しながら、左右交互に重心を移しながら<歩み>で進んできた表現の体はエ ネルギーをさらに充実させる(燃え尽きさせる)ために、例えば右足に重心を集中させる。それは右膝を曲げ、右足にしっかり重心を取ることで実行される。そこで左足は重心がからっぽになり、自由になる。自由になるとはいっても舞踊の表現の中で言う自由な足であるから、神経(気)は十分に注がれている。そこで、左足は足裏を床面を滑らしながら右足より前方へ出す(私はその足の動きを<すべり出し足>と命名)。次に、右足にあった重心を左足へ移動する(この重心の移動を<斜め上げ>と命名。以後ナミ造語とする)、その動きと同時に、徐々に自由になる右足を、その親指の付け根が左足の踵につくように引き寄せ、左足で <片足立ち>(ナミ造語)をする。その姿勢は表現のエネルギーを最大に保つ。
 上で説明した<つき>の場合は<左つき>と呼ばれている。また<つき>は左足に重心を集中させるやり方でも行われ、その場合は<右つき>と呼ばれる。   
右足への重心の集中→ 自由になった左足を<すべり出し足>で右足より前方へ出す→ 右足から左足への重心の<斜め上げ>による重心の移動→ 表現のエネルギーで充実した体(存在)を左足で受け止め<片足立ち>で立つ
という一連の動きは、女踊りでは、「エネルギーの充実(最終)」の表現のために採る常套の振付の一つである。
 先に琉球舞踊の動きはすべて、それが振付られたそれぞれの曲に拠っていると述べたが、一つの舞踊を構成する動きの中の一部分の動きである<つき>の場合もまた、<つき>という動きのリズムは、<つき>が振付けられたその部分の曲のリズムに拠って行われる。
 周知のことだとは思うが、身体の動きで起こるリズムというのは、身体の姿勢が、時間を使い(緩急)、空間を使い、力を用い(強弱)、そして、動きを支配する「流れ」に従う・・・という体の変化形態のなかで起こることである。その身体の動きのリズムをある曲に合わせるのが、その曲を踊るということであるから、振付けられた曲のリズムに拠ることは当然である。したがって、<つき>に限らず、舞踊を構成する一つ一つの動きのまとまりはすべて、曲をさらにそれが振付けられたその部分に集中して捉え、その部分の曲のリズムに従うということは言わずもがなだ。
 ここでは、<歩み>→<つき>について説明したが、<つき>は<まわる>(後述予定)という動きのまとまり(型)から行われる場合もある。また若干細かい動きの内容は異なるが、<つき替え足>という型の中でも<つき>がある。そこでは<片足立ち>から行われる。 注1:「間の手」とは、琉球古典音楽は歌詞を伴なう場合、曲の途中で三線だけの短い伴奏になる場合がある。それをいう。また曲の始めの歌が始まる前と歌い終わった後にも、三線だけの伴奏があり、その場合「歌持ち」と呼んでいる。始まる前の伴奏を「前歌持ち」、終わりの伴奏を「後歌持ち」と言う場合もある。 (注2):動きのまとまり(型)を意味する場合、その名称を<つき>のように<>でくくる事にする。

つき

回り

「まわり」とは『大辞泉』(小学館松村監修)によると「まわること」であり、「まわる」は「軸を中心にして円を描いて動くこと」である。琉球舞踊のまわり方には「大まわり」と「小まわり」があり、大まわりは大きな円を描いてまわることで、その時の軸は円の中央にある。小まわりは軸足を中心に重心の下降上昇をしながら居所でまわることであり、軸は踊り手の中心線になる。 まず「大まわり」について話そう。
大まわりは盆踊りなどのような大勢で円になって踊る時や、琉球の神事芸能の一つである臼太鼓踊りのウシデークなどに見られる。盆踊りの場合は円の中央に設置されたやぐらを中心にして円周で踊るので、軸はやぐらになる。ウシデークの場合も音頭取りが円の中央に位置している場合があり、音頭とりはチジングワーという小ぶりの太鼓を打ちながら唄い、人々は円周を回りながら踊るのでその場合は音頭とりが軸になる。
 女踊り「作田節」には、団扇をかざしてまわる振付がある。それは舞台を一周するほどのまわりではなく、殆ど踊り手の立位置の周囲を回る程度だが、それは立位置の周りを歩を進めながら回るので小まわりに対して大まわりと呼んでいる。
 近年は雑踊りや創作舞踊を複数で踊る場合が増え、大まわりで動く振付が多く見られるようになった。円陣を作ったり、ペアでお互いの位置を交換しながらまわるのである。
「加那よー天川」、「谷茶前」、「金細工」などは代表的である。
次に「小まわり」について。
(私は「小まわり」には「小廻り」という漢字を当てているので以後それを使用することにする。)
神事芸能は他に村落の人々が村の豊穣、予祝を願って行われる豊年祭がある。今でこそ、公民館などに常設された舞台で演じられるが、その昔それは、ウナーと呼ばれる村の広場で舞台無しで行われるところが多かったという。
 そのうち、その広場にバンクと呼ばれる仮設舞台を設け、豊年祭はそこで演じられるようになり、広場のバンクはやがて左右、後方が遮断された舞台に変化した。
ウナーやバンクと左右、後方遮断の舞台(以後その場合だけ舞台と呼ぶことにする)の最大の違いは正面ができたことだ。ウナーやバンクでは四方に観客がいて、回り全部の方向から踊りを見ていた。ところが舞台になると一方向からしか見ない。その頃から踊りの振付は変化してきたのではないかと私は考えている。
つまり、一方向からしか見えないということは、演じる動線は舞台の周囲をまわるだけでなく、舞台先と奥を行ったり来たりする「縦の線」、そして「斜めの線」が考え出されるということになる。
その場合、どうしても縦や斜めの線上の先と奥で方向を変える必要が起こる(線上をずっと進みっぱなしでは舞台から落っこちちゃうよね)。そこに登場してくるのが小廻りの技法だ。小廻りの技法は単に方向を変える役割だけでなく、美しい体の形や動きを作りだす。
ルーブル美術館を訪れた時、古代ギリシャ彫刻の周りをぐるぐる回りながら観察しているうち、どの方向から観ても美しい線に出会う感動に、かつて自分が踊りながら小廻りで感じたが感覚が、私の中で重なってきた。踊っている場合は、観客は固定し自分が動くのだから、自分の体のどの地点の形も観客の目線に晒されているという感覚だ。奥へ向くための180度の回転の間に体の形の変化や重心の下降上昇による動きの変化が、美しく神秘的な現象を生み出す感覚だ。
小廻りという技法は左に回る時左小廻り、右に回る時右小廻りという。
ここでは左小廻りを例にとって技法を説明してみよう。
右足軸のまま体全体を左回しする。その時体の回しと同時に左足を左横に出し踵で止め、爪先を左回しする。爪先が左横まで回った時体も左横まで回るが、そのとき重心の下降を伴なう。それは体の向きが左横まできた時体重が完全に左足に移るということである。間を置かずに重心を上昇させていくと右脚が左足横まで引っ張られる。体をなお左回ししながら、右踵を軸にして右爪先を左回しで後方右斜めまで回す。その動きに伴なって体をなお左に回す。右爪先と体を後方奥へ向けながら再び重心下降をしながら右足に体重を移す。
体の向きがすっかり奥の方へ向いたとき、重心を上昇させ、奥への歩みの準備をする。
以上が左小廻りの動きだが、正面から左回りで体の向きが奥へ向きを変えるまで重心の下降上昇を伴いながらを体もゆっくりと左回転しているのである。この感覚が、動かない彫刻の周りを観察者がぐるぐる回りながら観る感覚と重なったのである。
小廻りの美しさは特に女踊りのゆっくりとした動きの中で発揮される。

回り

振り返り

振り返るとは
方角または方向を変える、後ろを向く。後ろを見る。
別れ際に振り返るのは、別れが名残惜しいというのを暗に伝える。
振り返る動作には、
 追憶・振返る・振りかえる・回想・回視・回顧・思い返す・追懐・憶う・顧る・ふり返る・想う・顧みる
などの意味が込められ、過去の物事に接するさまが表現されるのである。
琉球舞踊における<振り返り>
 琉球舞踊には<振り返り>という技法がある。
前回紹介した<小廻り>は180度向きを変えるための技法であった。<振り返り>は先の方から後方へ一旦向きを変えた後に、後方への歩み途中で先の方へ向きを変え、再び奥へ向き直ることである。しかし<振り返り>の場合は、全身をその方向に向けるのではなく、半身を向けるのである。
振り返る仕草には、追憶・回想・回視・回顧・思い返す・追懐・憶う・顧る・想う・顧みる・・・などさまざまな意味が込められる。
 <振り返り>は琉球舞踊の殆どの作品に振付けられている。 <振り返り>には右振り返りと左振り返りがある。後方から左側に振り返る時、<左振り返り>、右側に振り返る時、<右振り返り>という。
<振り返り>の技法を左振り返りで見てみよう。
 後方に歩んでいる歩を、右足で止め、体を左回しにし、左足を踵を床面につけ爪先を少し持ち上げて左横に出す。体をなお左に回しながら同時に左爪先も左回しで先の方へ向ける。左爪先がやや正面先まで回るまでに重心を下降しながら左足へ体重を移す。その時体は正面先へ右入身で向けられている。その{右入身・左足体重・重心下降}までが振り返りの一回目の決めである。
その決めから重心を上昇させる。すると後ろにあった右足は左踵の方まで引き寄せられる。そこで面が正面に向けられる。振り返り二回目の決めになる。
次に、体を右回ししながら右足の踵の右回しを伴いながら重心を下降し、体重を右足に移す。しっかり重心を下降し、右足に体重が移ったとところで、三回目の決めになる。再び重心の上昇をしながら左足を踵で止め、四回目の決めになる。
そして、爪先を右回しを伴なって体も右回しで後方へ向ける。体が後方へ向き直るまでに体重を左足に移し、再び重心の下降をする。すっかり体が後方へ向き直るとき五回目の決めになり、重心なお上昇させ歩みの態勢になり六回目の決めになる。ここで左振り返りが終了する。六回目の決めと同時に後方への歩みが始まる。
一回目から六回目までの決めの間は踊り手に任されていて、間の使い方によって振り返りの味わいが違う。ところで間の遣い方については、振り返りに限らず、踊り手に任されていて、したがって作品全体にちりばめられた作品への思い、解釈なので、踊り手なりの作品全体の解釈が浮彫になるといっても過言ではない。 ここからは余談だが・・・、
見返り美人とは
振り返ったその姿が様になっている美しい女性のこと
後ろを振り向いた時の角度や身のこなしが女性らしく美しい事を言う。.
下にある絵は菱川師宣の信頼できる肉筆画の中で世にもっとも知られた作品だが,ネットで見つけたので、振り返りの美しさを共有したくて掲載させていただくことにした。
一人立ち美人図である点では珍しい作例であるという。歩みの途中でふと足を止めて振り返った印象的な姿は,まさに「菱川様の吾妻俤」(ひしかわようのあずまおもかげ)(『虚栗』)と謳われたそのものであろうと説明されている。
菱川師宣(ひしかわもろのぶ、元和4年〈1618年〉-元禄7年6月4日〈1694年〉)は、江戸初期に活動した浮世絵師の一人。浮世絵を確立した。


振り返り


私的には、自分が踊る時も、他の人の踊りを観る時も、雑踊り『花風』の“ちゅみどぅみゆる”の歌詞に振り付けられた<振り返り>が好きだし、そこに追懐と同時に色気をみる。“花風”の<振り返り>はまさにこの美人図と重なる。

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