沖縄県名護市にある「芸術学博士 大城ナミ琉球舞踊技法工房」のホームページです。


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イベント情報

決定!久々の発表会♪

遅くなりましたがみなさま!明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
やっと!やっと久々の発表会を開催することが決定しました(*≧∀≦*)
日時:2016年4月16日(土)
時間はまだ確定してないのですが夕方開催の予定です。
発表会に向けて門下生一同稽古に励んでおります!
みなさま!予定を開けておいてくださいねぇ!!!


『芸術祭総覧』に 所収された型の発表を行います。

日時:1月23日(金)午後6時~8時
場所:沖縄県男女共同企画センター「てぃるる」
藝能史研究会発表主旨
昭和11年琉球舞踊東京公演を見た舞踊研究大一人者の小寺融吉は、技が熟していない舞踊師匠の誕生の生むリスクを指摘し、「古い型が崩れるのはそのこと自体が惜しむべきである以上に、新しい型を生むために致命的損失」と言ったという。琉球舞踊は隆盛の一途を辿り、小寺の指摘を孕みつつ舞踊教師も数え尽せないほどになった。そして無形文化財として国指定された。しかし、グローバル化の名のもとに外部への発信で新しさ追求に齷齪し、古い型の検証がなおざりにされている感は否めない。昭和32年、女踊りを中心に音楽、舞踊、衣装、小道具、歌詞解釈について多角的総合的研究会が行われ、38年までに代表的6曲が検討され、『芸術祭総覧』に所収された。今発表ではその中で「琉舞の基本」とされている技法を検討する。


親泊ナミ琉球舞踊研究所7月のイベント
7月5日 親泊ナミ研究発表

大城ナミ(親泊)は7月5日「てぃるる」において開催される沖縄芸能史研究会第39回研究発表大会において下記の発表タイトルで発表をします。
 「第10回文部省主催『芸術祭奨励賞受賞』にみる琉球舞踊の評価」


7月13日(日)、20日(日) 名護市市営市場
親泊ナミ琉舞研究所
市場に舞う!!

保育園児から大人まで、力を合わせて楽しい公演を!
と稽古を頑張っています。
軽快な雑踊りを中心に2010年にユネスコ無形文化遺産リストに登録された組踊も抜粋で、その世界を体感していただきます。
鑑賞は無料!!
この機会をお見逃しなく!ぜひお越しくださり、応援よろしくお願いします♪
日時 : 7月13日(日)・20日(日) の2日限り!
     1回目 15:00  2回目 16:00
場所 : 名護市営市場内にて
料金 : 無料


7月24日(木)
琉球新報社主催「子供舞踊大会」

琉球新報社主催「子供舞踊大会」が7月24日名護市民会館で行われます。親泊ナミ琉舞研究所の門下生達も出演します。
踊る演目 「わらびんちゃーの宴(うたげ)」、「谷茶前」の二曲です。
子供達が張り切って出演します。



大城ナミDVD販売チラシ チラシダウンロードはこちら


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『芸術祭総覧』に所収された女踊りの型の解釈

はじめに)

私は学位論文第3章に「『芸術祭総覧』の意義」を取り上げ、「『芸術祭総覧』は琉球舞踊の「聖書」のような存在だと書いた(p33)。現在の琉球舞踊の舞踊家の精神、舞踊の型の依って立つべき所である、という意味である。
琉球舞踊の型の乱れについて問題にされて久しい。そして型の乱れは型の多様化の要因にもなるのだが、近年はその多様化も当然のこととして受け入れられている現状だ。琉球舞踊保存会では「先達の技の継承」を活動の中心に据えていることは歓迎すべき活動であろう。
現在の琉球舞踊が「先達の技」をどのように継承しているのかを、考えるためにも、舞踊研究家および舞踊実演家が『芸術祭総覧』で述べられている型を今一度見直す作業が必要と思われる。
しかし、書かれている内容を知っても、その解釈によって、舞踊の動き・形は違ってくる。つまり舞踊は生身の人間の体で行うものだから、その人の内奥にある、心の置き方(あり方というか)で大きく違ってくる。また思想にも左右される。つまり、書かれていることと実際に踊りとして再現することの間には隔たりがあるということだ。その隔たりをできるだけ小さくすることが『芸術祭総覧』にある型の解釈の仕方であり、それによるより忠実な再現である
ということで今日の発表では、『芸術祭総覧』にある型を具体的に知ることよりも、受け継いでいくためにどうすればいいかを一緒に考えることができればと思い、琉球舞踊とは、型とは、修業とは、稽古とはなどを中心に話していきたい。


1.『芸術祭総覧』とは(詳細後述)
1)『芸術祭総覧』の意義

『芸術祭総覧』(p422)で「型の統一について」と題して豊平良顕氏は次のようにいう。
「御冠船時代の一つの型が、その後師匠らによって自らの創作が加えられ、それが流派と称されて、型が混迷を招いたことが考えられる。このところ舞踊家が各自の型の主張を固執しているので、型の統一はおそらく困難であろう。」(1958.6.1沖縄タイムス紙より)
さらに
「しかし、琉球舞踊の型が現状のような混迷の状態では、琉球芸能の正しい継承はむろんのこと、保存という点からも到底見逃すことはできない」
この文面からも推察できるように、『芸術祭総覧』に所収された型は、各流各派のそれぞれの思いが様々に交錯する中にあって、多くの妥協を余儀なくされてまとめられたものであろう
そのような混乱の中の研究会であったので、踊ることの精神性、技の使い方、等は、個人的なテクニックとして触れず、「外形に現れる形・体の動きの順序」の記述に留まっている。それにしてもこれだけの「型の名称と動きの説明」が所収されていることは我々にとっては有難く、研究会に携わった先達の方々の偉大さに心から敬服する思いだ。後は我々がその記述をどう読み、理解し、自分の踊りの反省にできるかであろう。
さらに、『芸術祭総覧』に所収された型は、戦前戦後を通じて琉球文化・芸能を牽引してきた、芸能人をはじめ、音楽家・研究家・画家などで構成された「新人芸能祭舞踊研究会」(単に「琉舞研究会」と略記する)で話し合われた内容であるから、冠船・戦前・終戦直後を生き抜いてきた芸能を語るという意味では今後これ以上の人材を集めての伝統的研究内容は望めない、そういう意味でも意義のある一冊だと思う。因みに「新人芸能祭舞踊研究会」とは、新人芸能祭は第1~3回までそれぞれの師匠の覚えている型で挑戦し審査が行われていたが、「第4回新人芸能祭」を前に「審査基準」を決めようと発足した研究会で、会を重ねるにつれ、型の研究だけでなく、新人芸能祭の演目の決定や運営の展開もそこで検討するという任務を持つ会である。


2)「型の項」(注)に所収された型…(学位論文p17を参照されたい)。

女踊りを中心に、髪型、装束、動きについて所収され、それらをひっくるめて「琉球舞踊の型」としている。動きに関する型については、女踊りの身体的特性と動作に関する型(動作に関する型を「型」で記述する)に名称と動きの説明を付けて取り上げている。
内容は、女踊りの身体的特性と、「型」は上肢技法と下肢技法に分類(同論文p17)される。「型」は身体的特性に支えられているので、特に身体的特性について注意を向けて見ていくことが大事だと思う。
「型の項」には「琉舞研究会」で論議された内容の詳細も所収されている。そこに書かれていることから、当時の琉球舞踊についての考え方、「型」としてまとめた経緯、さらに広く舞踊というものを当時の人々がどのようにとらえているかが、分かる。
(注)「型の項」とは。
1940年代後半から50年代の琉球は文化復興期であった。芸能界ではこれまで劇団所属で活動をしていた芸能界の重鎮達が舞踊教師となって次々と舞踊研究所を開設。それまで劇団公演では演劇と演劇の中継ぎ程度に扱われていた舞踊が独立して発表会を持つようになってくる。そのようなさ中、1954年沖縄タイムス社主催で10人の若手舞踊家を選ぶ「琉舞ベスト・テン」が開催され、ベスト・テンに選ばれた10人を中心として第一回「新人芸能祭」が同年開催された。「新人芸能祭」は以後、琉球音楽部門や演劇部門、他の芸術部門を巻き込みながら規模を大きくし「芸術祭」と改名し1963年まで続けられた。
「新人芸能祭」が始まった頃は「琉球舞踊には型がない」と言われるほど踊り手らがそれぞれの踊り方で自由に踊っていたため、57年第4回「新人芸能祭」開催の前に、出演者選考のために審査基準を設ける動きが起こった。そして同年に「新人芸能祭舞踊研究会」(1961年「芸術祭琉舞研究会」に改組)を組織し正しい型の統一と保存の仕事がスタートした。
『芸術祭総覧』は「新人芸能祭(後に芸術祭)」の舞台活動と「琉舞研究会」の活動と研究記録が収録されている。「新人芸能祭」については、〔芸術祭の写真集〕、〔芸術祭の歩み(受賞者一覧表、入賞者一覧表、第10回芸術祭開催要項)〕、〔芸術祭の展望〕が、「琉舞研究会」については、〔沖縄芸能の歴史〕、〔舞踊と音楽の歌詞解説〕、〔琉球舞踊の型〕、〔芸能人名鑑〕で構成されている。
また、『芸術祭総覧』は初版で絶版になったので、同書から〔沖縄芸能の歴史〕、〔舞踊と音楽の歌詞解説〕、〔琉球舞踊の型〕、の3篇が完全復刻され『琉球舞踊の型・付舞踊音楽の歌詞解説』として編成され出版された。ここで取り上げる「型の項」とは『芸術祭総覧』の〔琉球舞踊の型〕の項を指すものとする。


2.琉球舞踊とは

原点に立ち戻って「琉球舞踊とは何か」を知らなければならない。現在の琉球舞踊について私は次のように考えている。
つまり、現代の琉球舞踊は冠船舞踊から伝承されているものとはいえ、『芸術祭総覧』の思想・型をそのまま受け止め、その真意を、私意を排して真摯に解明し、踊る(再現)られているというものではない。現代人である舞踊家、および研究家たちが無意識の裡に絶対化している欧米近代主義思想に立脚して、『芸術祭総覧』の思想・型を分析し再現したものではないか、と。
そのことは、豊平良顕氏の『新沖縄文学58』(p32)における下記の発言にも裏づけられている。舞踊家が型の解釈を考える際には真摯に受け止めねばならない指摘だと思う。
「沖縄の社会基盤に土着文化、独自の文化が空洞化してしまっている。だから舞踊家はそれに触れることがない。全く変動した現代の社会しかわからないのだ。例えば「桃売りアン小」も知らんし、琉装のアッピーとかアングァーも知らない。沖縄の土着文化、伝統文化、独自の現代文化に触れることは全くない。触れるのは戦後の現代文化だけだ。本土と系列化した文化とか、植民地化した社会風土、それしか触れていない。だからこれからの舞踊家が、伝統文化に触発されながら、何とか独自なものを創造していくには大変な苦心がいる」と。
『芸術祭総覧』の型の解釈は、それにかかわった先人達が生きていた時代の沖縄に存在していた概念、あるいはウチナンチュの心がどうだったかということに思いを馳せて、詳細に分析するべきだと思うが、その時代の沖縄には存在もしなかった近代主義の概念で分析されていはしないだろうか。
琉球の歴史・習俗・自然が濃縮されたものが琉球舞踊の型であり、その型を繋いで思想・感情・出来事などを表現したものが琉球舞踊のはずだ。


3.型とは

型は表現の最短距離である。それ以上であってもならず、以下でもいけないというぎりぎりの一線である。型はエッセンス。それは量ではなく高められた質の問題
形(型)の背景には、それを成り立たせている「理合」と「身体の錬(ねり)」がある。理合とは、間、正中線、中心取り(丹田)。身体の錬とは、その理合を実現するために必要な、身体操法で「膝・腰・丹田の柔らかさ」・「体軸の養成と使い方」である。その修練によって動きの質が変わり、腰の安定、ムチミ、ガマク、チンクチ、縦揺れ・横揺れをしないなどが習得される。


1)稽古とは

「稽古」という言葉は「古(いにしえ)を稽(かんが)える」と書く。 南北朝時代に北畠親房が著した「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」には、「稽古」について、「古今の理(ことわり)なり。これをよくわきまへしるを稽古といふ」とあるそうだ。つまり、古事を考えて、物事のかつてあったあり方と、これからあるべき姿のすじ道を正確に知るということが「稽古」ということになる。
ところで、真境名佳子師は「琉舞の基本」(『新沖縄文学58』p81‐91)として次のことを上げている。
①立つ姿勢、②足運び、③膝を割る、④面(目)・体(手)・足は一体の方向、④目線、
⑤腕の振りと脇の関係、6ガマク入れ、⑦上下動・左右揺れをしない
(紙面の都合上詳細は割愛するが、ぜひ同誌を一読して確認していただきたい。)
ここで述べたいのは、『芸術祭総覧』に所収された型の記述は型を再現するときの「体運び」である。真境名の揚げる7項目の「琉舞の基本」は体運びを体得する際に舞踊家が意識しなければならない「身体操法」であるということである。
我々はよく「きょう稽古がある」ということをいう。しかし普通に使っている「稽古」という言葉を手順のおさらい程度の場合に使っているのではないだろうか。少なくとも私はそういう場合が多い。「琉舞の基本」をかつてあったあり方と、これからあるべき姿のすじ道を正確に知るべく「稽古」しなければならない。
真境名の「琉舞の基本」に関連して、2010年2月22日「琉球新報コラム」で私は次のように書いた。既読の方もおられと思うが引用しておく。
「琉舞のカラダは常に正中線を意識し、身体の軸を作ることから始まる。カラダが安定して自在に動くために体全体の力を緩め、丹田(たんでん)に力を集め、軸がブレないことが基本だ。琉舞ではそれを「自然体」と呼ぶ
丹田に力を集めるという言い方は抽象的で分かりにくいので、余談だがここで私流の解釈を紹介する。
息をつめて下腹を意識すると下腹に力が集まる。同時に尾骨を前のほうへ引き上げるようにすることである。そうすると私の場合は自然に骨盤は立ち、閉まるのである。
次に立つ姿勢だ。立つ姿勢では、自然体に、真っすぐな背筋、いつでも動き出せる体勢が指導される。足運びではすり足と縦波横波を起こさないことが基本中の基本として指導される。
そして目使い。琉舞の第一人者真境名佳子師は、琉舞の動きは面・目、体、足は一体の方向にということを基本とした。」(引用ここまで)

蛇足だが、コラム文中の<琉舞ではそれを「自然体」と呼ぶ>この部分は、<琉舞でいう「自然体」とはこういう体のあり方をいうのではないだろうか>と訂正したい。


まとめ

琉球舞踊を踊るとはどういうことか
冠船時代の世相はどうであったか。果して今われわれが感ずるような整然たるものであったかどうか、
型が、心の働きと、その背後に捨象されたエネルギーを持ちえず、単なる型に留まるとしたらそれこそつまらない。
現在の我々舞踊家と冠船役者の違い
・踊り手は現在は個人→当時は琉球国の外交のため
・冠船役者達は、型というものの概念を理論づけて理解してはいなかった。しかし、(私心がなく?)ひたすら琉球王国のため、すべての行動は「しゅいうてぃんがなし」のために行われていたと思える。そのために、莫大な稽古の量を忠実にその型に注ぎ込んだ。心はおのずからその後から備わったと思う。
現在、琉球舞踊においては精神性は語られない。歌意という意味では動きや形が説明されるが、型の持つ精神性という意味では語られていないのだ
さらに、近年は家元・流会派の乱立や各流会の組織拡大が大きな関心事になる傾向にあり、舞踊家の登竜門とされている両新聞社のコンクールがその手段として利用されている一面さえある。つまり、コンクールに一人でも多くの門下生を合格させることで、その人たちが教師になり、教師が増えることが、組織拡大につながっていくからである。したがって、必然的にコンクールに合格しやすい型(これを「コンクール用の型」と呼ぶことにする)、そのための技術がクローズアップされ、指導されているというのが現状。


琉球舞踊界で言われている「そぎ落とす」という言葉について

また、「コンクール用の型」のためか、「型のそぎ落とし」という概念が間違って使われ、動きの荒の見えない、平易な型にする傾向が見える。「型のそぎ落とし」とは、型を平易にすることではなく、自分のこれまで持っている動きの癖、本来の型には不要な動きを取り除くことではないだろうか。
無駄な動きをしないことが形の単純化ではない。
世阿弥は『花鏡』で「心を十分に動かして身を七分に動かせ」(動十分心、動七分身)と言った。つまり体の動きを七分目に控えよと忠告したのは、心を十分に働かせるための用意に他ならない。心の動きはそっちのけにして、形だけ控えたことを「そぎ落とす」ことと勘違いし、それが踊りの上品さなどとすり替えている舞台もある。


終わりに当たって

琉球舞踊の基本形は、「拝み手」「こねり手」「押す手」の三手(私は本発表ではこの3手を「3種の宝物」と呼ぶ)である。つまりそれらの所作から見えることは、琉球舞踊の理法の奥にある精神性は「神への祈り」「礼・感謝」「敬愛」など、崇高なものであったように思う。私はこの「3種の宝物」を基にした琉球舞踊の型を稽古し修練することで「絶対的な存在に近づく力」を得ることができると考えている。
ところで余談だが、日本神話に登場した神器と同一とされる、あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代 天皇が継承してきた三種の宝物(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣)を三種の神器というそうだが我々の琉球舞踊では「拝み手」「こねり手」「押す手」は、その中に籠めらた精神から「琉球舞踊の3種の神技」と呼ぶに値するのではないだろうか。
琉球舞踊の歴史の流れは、この形に盛り込まれた「崇高な精神」をないがしろにして、舞踊を単に組織拡大の道具として利用してしまった。



技能保持者の役割

琉球舞踊には、技能保持者という立場の人たちがいる。新しく保持者の追加認定があるということで、組織的にも個人的にも保持者になりたい人たちの攻防があると聞く。
保持者とは何だろう。舞踊の技能保持者は、単に舞踊の技能を保持していて、技能を伝えることができるというだけなのだろうか。私はそうは思わない。技能を保持して伝えることが出来ることは最低限必要な能力であり資格条件ではあろう。
それだけではなく、「舞踊にまつわる話のできる語り部」ということも資格条件に加えてもらいたい。自分が習う時、師匠はどうだったか、師匠の踊り姿だけでなく、師匠の存在そのものを語り伝えることが出来るのも師匠と触れた経験を持つ者だけが伝えることが出来るのだから。何故その師匠だったのか。他の師匠との関係は、さらにその時の舞踊環境はどうだったのかということも。
伝統的技能の習得は、それにまつわる文脈と切り離せない。
舞踊の伝承は、「文脈」「歴史」「伝統」を伝え次ぐことで初めて可能になり、それはまさに技能保持者の役割ではないか。


拍手の瞬間

2015年8月17日

今琉球古典芸能コンクールの真っ最中である。このコンクールは琉球舞踊の舞踊家の登竜門でもある。コンクールは審査であるから、演舞の終わりに拍手などは禁止されている。しかし、緊張感をみなぎらせながら、手数を間違えないようにとか、教えられた動きや形を精一杯やろうとする一途さに、思わず拍手を送りたくなる踊りもあったりする。とは言え、仮に拍手の気が起こったとしても、その拍手はコンクールの為の稽古へのねぎらいや思わず込み上げてくる応援への拍手であり、一般に行われる舞踊公演での拍手とは意味が違う。今日はその拍手について思うところを書いてみたい。
尼ヶ崎彬は著書『ダンスクリティーク』で拍手の瞬間について次のように述べている。
「ピアノ・リサイタルで演奏家が最後の一音を叩く。彼の腕が停止する。だがその音が響いている間はまだ終わりではない。やがて音は小さくなり、ついに聞こえなくなる。だがまだ終わりではない。沈黙の中を、観客はじっと息を詰めて待っている。ふと演奏家の身体から力が抜けたように見える。息を吐いたのかも知れない。その瞬間、会場から、一斉に拍手が沸き起こる。観客は、演奏家の身体の変質を見て取り、その瞬間、演奏の終わったことを知る」、と。
昨今、琉球舞踊の公演では、「拍手は袖幕に入ってからする」ことが鑑賞の礼儀みたいことが言われている。私は琉球舞踊公演ではびこっているそのような拍手は作られたものであると考えている。そのような拍手は、「拍手は袖幕に入ってからする」という観客に振付けられたパフォーマンスだと思えるからだ。琉球舞踊の公演で言われている「拍手は袖幕に入ってからする」という部類の拍手は、果たして尼ヶ崎の言う拍手なのか。本当に「袖幕に入る」瞬間が観客が感極まって思わずする拍手の瞬間なのか。
では観客のパフォーマンスではない、尼ヶ崎の言う拍手の瞬間はどのような場面で生まれるのだろう。それは、踊り手が袖幕に入る瞬間までを一つの「作品の中の体」として演じている場合でなければならないと考えられる。
私は琉球舞踊の場合、一つの作品としての舞踊が終わる間際までに音楽による「3つの局面」があると考えている。つまり、音楽の最後の声切り、余韻、後歌持ちの三局面だ。踊る曲の最後の声切りまではたいていの踊り手はその作品の体を維持していると思う。しかし、舞踊が第二の局面にさしかかると踊り手の技量に違いが出る。声切りからその余韻をどう感じたかが余韻の局面における体の質に変化が現れるからだ。その局面で「素に戻っている」場合も多々見受ける。そして第三の局面だが、その局面からは後歌持ちでの歩みで舞台を出る(袖幕に入る)動きになるが、袖幕に入るまでの「歩みの動きの質」をどのように表現するかがその局面の身体の質である。
私はその尼ヶ崎の拍手の瞬間への「しつっこいまでのこだわり」にこだわりたい。
本当に踊り手は袖幕に入る瞬間までその作品の動きの質でありえるのだろうか。琉球舞踊の公演で、尼ヶ崎の言う拍手の瞬間、だからそこで拍手が起こる…という状況があるのだろうか、と。袖幕に入った瞬間の踊り手の体は観客からは見えない。しかし、そこで「身体から踊りの力が抜けた」ことを、言い換えればそこまでは「踊りの力を維持している」ことを観客が感じるくらいの技を持っている踊り手が果たして何人いるのだろう。そう考えると、先に述べた「琉球舞踊の場合、拍手は作られたものである。つまり『拍手は袖幕に入ってからする』という観客に振付けられたパフォーマンス」というのは意を得ていると思われる。



ある日の稽古風景

2015年12月14日

2016年4月に行われる発表会の演目「執心鐘入」の稽古風景


2015年08月05日

10月に組踊に出演させてもらえる子が何人かいるので唱えのために発声練習をしました!

なかなか喉を開けて発声するのが難しい…
腹式呼吸も練習しています。

公園日程や演目が決まったらまたアップします。
よろしくお願いします。


2013年12月23日

ある日の稽古風景
かぎやで風で歩みの練習です。
大人も子供も一緒にかぎやで風の間先生に形を直してもらいながら
ひたすら歩みます。

初めての時には
「腕ってこんなに重いんだなぁ…」
と感じでしまいます(^^;)



公演の様子

2015年2月11日

演目は「長者の大王(うふしゅう)」の中の「たのむぞう」です
公演中の撮影はNGだったので公演前の集合写真です
同窓会の記念公演なのでもちろん舞台上にいらっしゃるかたは全員琉大出身です



2013年12月23日

親泊ナミ琉舞研究所「2013年ミニ発表会」の様子
・プログラム
1.かぎやで風  2.うーまくかまでー 3.加那ヨー 4.鳩間節 5.かせかけ 6.組踊銘苅子抜粋
7.ゼイ 8.組踊二童敵討抜粋 9.谷茶前 10.組踊執心鐘入抜粋 11.打組加那ヨー 12.高平良万歳

画像をクリックすると大きな画像で見ることができます。




琉球舞踊 in France(親泊ナミ)

公開日: 2012/05/29
フランスの街、クリッシーで行われた道のお祭りに出演。琉球音階を使った音楽で琉球舞­踊を披露してきました。

出演:親泊ナミ他

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